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松山地方裁判所 昭和42年(ワ)503号 判決

原告

宮武幸雄

ほか四名

被告

愛媛県

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、双方の求める裁判

(原告ら)

一、被告は、原告宮武幸雄に対し金二〇二万円、原告宮武勝利原告宮武光宏に対し各金一四七万円、原告船戸哲に対し金一六五万円、原告小林トキ子に対し金三三五万円および右各金員に対する昭和四二年七月二六日以降完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに第一項についての仮執行の宣言。

(被告)

主文同旨の判決。

第二、双方の主張

(請求の原因)

一、昭和四二年七月二六日午前一時頃、愛媛県温泉郡川内町割石東山乙一六二四番地先の道路(通称黒森峠の三段カーブ)上において、訴外日野進、同寺井敬のいずれかが普通乗用自動車(ダイハツベルリーナ)を運転して面河村方面から松山市方面に向つて進行していたところ、道路左外側の約二七メートル崖下にある一段下の道路上まで転落し、右自動車に同乗していた訴外宮武良、同小林薫は全身打撲のため即死した。

二、右事故は、被告の道路管理上の瑕疵によつて発生したものである。

すなわち、右事故現場附近は被告の管理する県道であつて、当時、被告は昭和四一年災害復旧国庫補助第九三号県道面河、川内線道路復旧工事の一環として訴外吉野組に請負わせて道路工事をなしていたものであるが、附近の道路状況は次のとおりであつた。

(一) 路面は舗装されておらず、崖上からの落土や工事用の土が路面に放置され、それが雨に流されてぬかるんでいて、自動車の運転者は自動車のタイヤがスリツプしてハンドルをとられ、道路の左側の崖下に転落する危険のある状態であつた。

(二) また、道路の右側部分に堆積された土の縁線が、夜間においては、道路右側端線と間違えやすい状況にあり、しかも右縁線の延長線上には突出した岩壁があつたから、運転者は右縁線を道路右側端線と考えて、これに沿つて進行していると、前方に岩壁がみえて衝突しそうになり左にハンドルを切らざるを得なくなり、道路の左側の崖下へ転落する危険のある状態であつた。

(三) そして、付近には工事中の表示もなく、転落防止のための鉄棚などの設備もなかつた。

以上のような道路状況のもとで、本件自動車の運転者は、本件事故現場付近にさしかかり、右(一)の危険が現実化してぬかるみによるスリツプのために転落したが、同(二)の危険が現実化して道路右側端線を錯覚して転落したものであり、被告が道路管理者として堆土を除去して路面を良好な状態に保つなり、それができなければ突出した岩壁に運転者の注意を喚起すべき標示燈を設置し、かつ転落事故防止のための鉄柵を設置し、道路工事中の標示をなしていれば、本件事故は発生しなかつた筈であるところ、これらのいずれもが欠けていたために本件事故が発生したものであつて、右は被告の道路管理上の瑕疵というべきであるから、被告は本件事故によつて生じた次の損害を賠償すべき義務がある。

三、本件事故によつて生じた損害は次のとおりである。

(一) 訴外宮武良関係分

1 得べかりし利益喪失による損害金三〇二万円

同女は本件事故当時二九才であつて、昭和三二年三月松山東高等学校を卒業後、愛媛県果樹試験場事務員を経て昭和三六年四月からは創価学会松山会館事務局に転職し、給与月額金一万八、〇〇〇円を得ていたが、昭和三九年四月二〇日原告宮武幸雄と婚姻し、家事の外同原告の経営する新聞取次店を手伝つていたものであるから、本件事故に遭遇しなければ少なくとも三四年間は生存でき、その間年額金二三万四、〇〇〇円(昭和四一年度二九才の全国女子労働者の平均給与年額に相当する)の収入を得、生活費として年額金七万九、一八〇円(生活保護法による昭和四二年度松山市における二九才の女性の基準生活費に相当する)を要するから、これを控除した年額金一五万四、八二〇円の割合による純収入を得られるところ、その死亡時の現価を求めるためにホフマン式計算方法により民法所定年五分の割合による中間利息を控除すると金三〇二万円(一万円未満切捨)となり、同額の損害を蒙つた。

2 慰藉料金一〇〇万円

同女は前記のような経歴を経て、原告宮武幸雄との間に、昭和四〇年一月一二日、長男原告宮武勝利を、同四一年一一月一三日、二男原告宮武光宏をもうけ、平和な家庭生活を送つていたものであり、本件事故によつて生命を失つたことによる精神的苦痛は甚大であつて、これを償うべき慰藉料は金一〇〇万円を下らない。

3 原告宮武幸雄、同宮武勝利、同宮武光宏の慰藉料

原告幸雄は最愛の妻を、原告勝利、同光宏は幼くして母を失つたものであり、その精神的苦痛は甚大であり、これを償うべき慰藉料は原告幸雄については金一〇〇万円、原告勝利、同光宏については各金五〇万円が相当である。

4 原告幸男、同勝利、同光宏の相続

原告幸雄は亡良の夫として、原告勝利、同光宏は同人の子として前記1、2の損害賠償請求権を三分の一宛相続によつて取得した。

5 強制保険金の受領

原告幸雄、同勝利、同光宏は本件事故について強制保険金一五〇万円の支払を受け、これを相続にかかる各自の前記1、2の損害賠償債権に各五〇万円宛充当した。

6 原告幸雄、同勝利、同光宏の残存債権

従つて、原告幸雄の残存損害賠償債権は金一八四万円、原告勝利、同光宏のそれは各金一三四万円となる。

(二) 訴外小林薫関係

1 得べかりし利益喪失による損害金三〇五万円

同女は本件事故当時三〇才であつて、昭和二八年三月松山商業高等学校を一年で中退の後、家事手伝をしていたが、昭和三七年一〇月創価学会松山会館事務局に就職し、給与月額金二万二、八〇〇円を得ていたが、昭和四二年六月二〇日原告船戸哲と結婚式を挙げ、婚姻の届出は未了であつたが、同棲をはじめ、主婦として家事に従事していたものであるから、本件事故に遭遇しなければ、少なくとも三三年間は生存でき、その間年額金二三万八、八〇〇円(昭和四一年度三〇才の全国女子労働者の平均給与年額に相当する)の収入を得、生活費として年額金七万九、一八〇円(生活保護法による昭和四二年度松山市における三〇才の女性の基準生活費に相当する)を要するから、これを控除した年額金一五万九、六二〇円の割合による純収入を得られるところ、その死亡時の現価を求めるためにホフマン式計算方法により民法所定年五分の割合による中間利息を控除すると金三〇五万円(一万円未満切捨)となり、同額の損害を蒙つた。

2 慰藉料金一〇〇万円

同女は前記のように原告船戸哲と結婚式を挙げて一ケ月余経たばかりで本件事故に遭遇したものであり、その精神的苦痛は甚大であつて、これを償うべき慰藉料は金一〇〇万円を下らない。

3 原告船戸哲、同小林トキ子の慰藉料

原告船戸哲は前記のように結婚式を挙げて一ケ月余にして最愛の妻を失い、その精神的苦痛は甚大であり、これを償うべき慰藉料は金一五〇万円を下らない。

原告小林トキ子は亡薫の母であるが、長女として大切に育ててきた同女を失つた精神的苦痛は大きく、これを償うべき慰藉料は金五〇万円が相当である。

4 原告小林トキ子の相続

原告小林トキ子は亡薫の母として、前記1、2の損害賠償債権を相続によつて取得した。

5 強制保険金の受領

原告小林トキ子は本件事故について強制保険金一五〇万円を受領し、これを相続にかかる前記1、2の損害賠償債権に充当した。従つて、同原告の残存債権は金三〇五万円となる。

(三) 弁護士費用

原告らは、本件事故後、被告に対し損害賠償を求めたが、被告がこれに応じないので、原告ら訴訟代理人に本件訴訟を委任し、各請求額の五分宛を着手金および成功報酬として支払う旨(一万円未満切捨)約束したから、原告宮武幸雄は金一八万円、同宮武勝利、同宮武光宏は各金一三万円、同船戸哲は金一五万円、同小林トキ子は金三〇万円の弁護士費用を負担することとなり、それぞれ同額の損害を蒙つた。

四、よつて、被告に対し、原告宮武幸雄は前項(一)の6と(三)の合計金二〇二万円、同宮武勝利、同宮武光宏は同じく合計各金一四七万円、原告船戸哲は前項(二)の3と(三)の合計金一六五万円、原告小林トキ子は前項(二)の5と(三)の合計金三三五万円および右各金員に対する本件事故発生の日である昭和四二年七月二六日以降完済にいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(答弁)

一、請求原因第一項の事実は認める。

二、同第二項については、面河、川内線が被告の管理する県道であること、本件事故現場附近がカーブの多い坂道であり、路面が舗装されていないことは認めるが、本件事故が被告の道路管理上の瑕疵に帰因するとの点はいずれも否認する。

本件事故現場附近の道路状況は次のとおりであつた。

(一) 転落地点から川内側に約二〇メートル、面河側に約五〇メートルの合計約七〇メートルにわたつて直線状となつており、道路幅員は面河側が平均五・五メートル、川内側が平均三・五メートルあり、路面は砂利道路で、車輛の轍跡がつく程度であつた。

(二) 事故発生当時の天候は霧雨程度であつて、落土や盛土が路面に流出しぬかるむ状態ではなかつた。

(三) 当時、転落地点より面河側の道路改修工事中であつたが、工事区間の両端に「工事中」の注意標識を設置していた。

(四) 該道路は伊予鉄道株式会社の定期バス路線になつているが、前日の最終便および当日の始発便はいずれも正常に運行された。

従つて、本件事故発生当時の現場附近の道路は自動車の運行に支障を来すような状態ではなかつたものであり、本件事故は、被告の道路管理上の瑕疵によつて生じたものではなく、もつぱら事故車の運転者の過失によつて発生したものである。

三、同第三項については原告ら主張の損害額は全部争う。

第三、証拠〔略〕

理由

一、昭和四二年七月二六日午前一時頃、愛媛県温泉郡川内町割石東山乙一六二四番地先の、被告の管理する道路(通称黒森峠の三段カーブ)上において、訴外日野進か訴外寺井敬のいずれかが原告ら主張の自動車(以下本件自動車という)を運転して面河方面から松山市方面に向つて進行していたところ、道路左外側の約二七メートル崖下にある一段下の道路上まで転落し、右自動車に同乗していた訴外宮武良、同小林薫が全身打撲のため即死したことは当事者間に争いがない。

二、よつて、右事故が被告の道路管理上の瑕疵によつて発生したか否かについて検討する。

〔証拠略〕によれば、次の事実を認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  本件事故現場は、国道一一号線から温泉郡川内町において分岐し標高約一〇〇〇メートルの黒森峠を経て面河村にいたる四国山脈を横断する山道の、川内町より南へ約一六キロメートル、黒森峠より約一・五キロメートル附近の標高約八〇〇メートルの山中にある三段カーブ(上から下へ、東西に三本の山道がほぼ平行に走り、順次カーブをもつて結ばれている)の第二番目道路上であつて、右道路は約五五メートルにわたつて直線状で見とおしは良く西から東に向つて下り坂となつているが、その勾配は五パーセント程度で、西方は北へゆるやかにカーブし、東方も北へゆるやかにカーブした下り道となつていること、右道路の南側は上に向つて急傾斜の崖となつており、土砂崩壊防止のために約四〇メートルにわたつて下の部分にコンクリート壁や石垣が設けてあるが、その上部はなお工事中で、掘り出した土が道路の南側部分に幅約二・八メートル、長さ約二〇メートルにわたつて、堆積されていたこと、道路の北側は下に向つて急傾斜の崖となつて岩が露出したり、雑木が生えていたこと、路面は未舗装の砂利道で、右土砂の堆積部分の北側部分一帯は他の部分に比較して軟弱な状態で通行する自動車のタイヤ痕が深く残るような状況にあつたこと、道路幅員は六ないし七メートル位あるが、前記コンクリート壁の東方端の部分から東に向つて道路の南側部分が約二メートル狭くなり、右部分の外側には岩壁があつたこと(右認定の位置、距離関係は別紙図面のとおり)。

(二)  本件自動車は五人乗りの乗用車で車長三・八メートル、車幅一・四四五メートルであつたこと。

次に本件自動車の転落開始地点を検討するに、〔証拠略〕によれば、別紙図面にの記号で示す形状に約一八・一メートルと約一三・二メートルの二条のタイヤ痕が前記コンクリート壁の北側の道路上に残り、その先端はいずれも道路北端で消え、その延長線上の急斜面上とには自動車によるものと認められる接触痕や雑木草の倒れた跡があり、さらにその下方の道路上に本件自動車が焼けて停止していたことが認められるから、右タイヤ痕が道路北端部分で消えている地点が転落開始地点と認めることができる。

そこで、本件自動車が何故に右のように左ヘカーブし、道路外の崖下へ転落したかについて検討するに、事故直前における本件自動車の運転者、同乗者の証言や附近にいて本件事故を目撃した者の証言が右認定の重要な資料となることは明らかであるが、〔証拠略〕によれば、本件事故発生当時、本件自動車に乗車していた者は訴外寺井敬、同日野進、同宮武良同小林薫の四名であつたが、事故発生後数時間を経た早朝七時頃になつて、現場を自動車で通りかかつた者に訴外寺井敬は瀕死の重傷者として、他の三名は遺体となつて焼けた本件自動車とともに発見されたことが認められるから、唯一の生存者である訴外寺井敬の語るところが重要となるが、同人は司法警察員や検察官に対する供述〔証拠略〕当裁判所の法廷における証言において、終始事故直前の模様はわからない旨述べて事故原因について語るところがない。しかして、本件全証拠を見渡しても、本件事故発生当時、本件自動車の近くにいた他の車輛の運転者とか通行人などの本件事故の直接の目撃者たる立場にあつた者の捜査官に対する供述調書とか証言もない。

そうだとすれば、本件事故が発生した昭和四二年七月二六日午前一時頃を中心として、その前後において本件事故現場を通行した者や現場附近の工事関係者の語るところによつて本件事故原因を推測するより他はないから、以下においてこの点を検討することとする。

〔証拠略〕によれば、同証人は伊予鉄定期バスの運転手としてバスを運転して、本件事故前日松山から面河に向い、午後八時前後頃、本件事故現場附近を通過し、翌日は午前八時三〇分頃同じ場所を折り返し通過しているが、前記工事による盛土がある附近の道路状況はぬかるむとかスリツプする状態ではなく、又車が傾いたり、ハンドルをとられる程のこともなく、往復とも霧はなかつたことが認められる。

〔証拠略〕によれば、同証人らは本件事故現場附近の工事関係者であるが、事故発生の前日は霧が出たり、小雨が降つたりしてきたので午後一時三〇分頃作業を中止したが、前記盛土の北側部分の道路は三・五ないし四メートル幅で自動車が通行できるよう落土は南側の崖側に向つて盛りあげたうえ引揚げたこと、当時、右盛土の北側部分は時速二五ないし三〇キロメートルで特に注意しないで安全に通れる状態であつたこと、前記工事現場の前後には工事中を示す標識がたてられていたことを認めることができる。

次に問題となるのは、本件事故当時の天候状態であるが、〔証拠略〕によれば、本件自動車は本件事故現場まで道路距離にして約五・一キロメートルの地点にある。上浮穴郡面河村杣野一八番耕地の三山内千津子方を事故の一〇ないし一五分前に出発しており、右出発当時、右山内方附近は小雨模様であつたことが認められるから、本件事故現場附近も概ね同様の気象状況であつたものと推認できるが、霧が発生していたか否かについてはこれを確認するに足る証拠はない。

以上のような事実関係のもとで、原告ら主張のように本件事故は被告の道路管理上の瑕疵によつて発生したと認めることができるであろうか。

原告らは、先ず、本件自動車は前記盛土の北側の路面の軟弱な部分でタイヤがスリツプし、ハンドルをとられたと主張するが、前出乙第一号証によれば、本件事故現場附近において路面が軟弱な部分は概ね前記盛土の北側部分であつて、その前後部分はさして路面が軟弱ではなかつたものと認められ、本件自動車が仮に原告ら主張のように路面が軟弱なためにスリツプしあるいはハンドルをとられたために左へ転落したのであれば、右路面の軟弱な部分から直ちに道路左側へ転落した筈であり、そうすると、現場の路面上にも右軟弱な部分にタイヤ痕が残つているか、そうでなければ、現存するタイヤ痕も深いものが残つていた筈であるのに、現実には右軟弱な部分を越えた路面の左程軟弱でない東方の路上に約一八メートルにわたつてタイヤ痕が残つていたが、その深さはさして深いものではなかつたことが認められ、これに前記認定の諸事実を考え合せると、本件自動車の運転者が路面が軟弱なために運転の自由を失つて本件事故の発生をみたとは到底認めることができない。なお、〔証拠略〕中には右認定に反するような部分があるが、いずれも措信できない。

次に原告らの主張する前記道路上の盛土の縁線は道路右側端線と間違えやすい状況にあり、右盛土の縁線を道路右側端線と考えてこれに沿つて進行していると道路の右前方に岩壁が突出していて、道路幅も狭くなつているのでハンドルを左に切らざるを得なくなり、ハンドルを左に切りすぎると道路外の崖下に転落する危険のある道路の形状であつたから、本件自動車の運転者もそのような運転をして崖下に転落したとの点についてであるが、確かに前記認定の道路状況からみれば、運転者が相当の高速で進路の右側ばかりを注視して左側を全然注視しないで運転した場合はそのおそれがないとはいえないけれども、前記認定の道路状況からすれば、本件自動車の転落開始地点附近はゆるやかな下り勾配の直線道路であつて前方の見とおしは極めて良いのであるから、前方を注視していさえすれば、右のように道路の右側端線を錯覚することはあり得ないものといわなければならない。これが見とおしの悪い場所、例えばカーブの途中とか、上り坂道の頂上を越えた附近とかにおいて道路が急に狭くなり、岩壁が突き出している場合なら、道路交通法上徐行義務があるとはいえ、運転者にとつて予期せぬ道路状況を現出し、ハンドル操作や速度操作を誤らしめることが多いと考えられるから、道路管理者としては右のような道路の形状を是正するなり、運転者に注意を促す方法を採ることが要請されると考えられるが、右にみたような本件道路の形状からすれば、居眠または脇見運転とか、同乗者の運転妨害とか、自動車の突然の故障(ハンドル、ブレーキまたは前照燈)、無理な運転をする対向者の出現、など異常な事態でない限り、東進する自動車の左崖下への転落事故発生の可能性は考えられないところであるうえ、右認定でも明らかなとおり、運転者が道路右側端線を錯覚し、かつハンドルや速度操作を誤つた場合も本件事故の原因たり得ることが認められるにとどまり、本件全証拠を検討するも、本件事故が右原因によつて発生したと認めるに足る確証はない。すなわち、前出寺井敬の司法警察員に対する供述調書によれば、同人は本件自動車の助手席に乗り、本件事故前うたたねをしていた旨の供述があり、同人の無意識の運転妨害も全く否定もできないし、本件自動車に前示のような故障が全くなかつたことについても〔証拠略〕によれば、本件自動車は本件事故によつて焼けただれてこれを確知することは不能であることが認められるから、これまた否定も肯定もできないし、運転者の居眠りや脇見についてもこれを肯定する証拠もないが否定する証拠もない。

以上を総合して検討すれば、本件事故は道路の軟弱なことが原因であることは否定できるが、道路の形状および道路の右側に盛土が置かれていたことが原因であるとは未だこれを認めることができないというに帰する。してみると、右道路の形状および盛土のの存在と本件事故の発生との因果関係は証明できないものといわざるを得ない。

最後に、原告らは、被告において前記道路右側が狭くなり岩壁がある部分に視線誘導燈を、道路左側に鉄柵を設置すべきであるのにこれを怠つた瑕疵(右諸設備が本件事故当時存在しなかつたことは前出乙第一号証によつて認めることができる)を主張するのでこの点について検討する。

右視線誘導燈については、既に述べたとおり、運転者において道路右端線を錯覚したことの証明はないのであるから、これが欠けていたことをもつて本件事故発生についての道路管理上の瑕疵と認めることはできない。

次は鉄柵(ガードレール)の欠けていた点であるが、確かに物理的にみれば、道路左側の本件自動車の転落開始地点附近にガードレールが設置されていれば、本件事故の発生は防止できたかも知れないし、仮に発生したとしても、損害の発生を少なくすることができたであろうことは明らかであるが、右道路部分が前記認定のように相当の幅員をもつた見とおしの良い直線部分であることや交通量も余り多くないこと(前記認定のように本件事故後は道路脇に焼けた本件自動車が存在するという異常な状態を現出していたのであるから本件事故以後現場を通行する車輛などがあれば、直ちに警察へ通報するなどの措置がとられた筈であるのに、数時間も放置され、第一発見者が本件自動車を発見したのは午前七時頃であることからみても、特に夜間の交通量の少ないことが推察できる)に照らすと、道路管理者たる被告が右設備をしなかつたからといつて道路管理上の瑕疵があつたとは認め難いところである。

三、以上の次第であるから、原告らの本訴請求は、いずれもその余の点に対する判断をするまでもなく、理由がないから、棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 秋山正雄 梶本俊明 関野杜滋子)

〈省略〉

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